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2月 25, 2026
現代カダンパ仏教の中心となるのは、ゲシェ・ケルサン・ギャッツォ・リンポチェ師が考案した3つの学習プログラムです。
一般プログラム
基礎プログラム
教師養成プログラム
これらのプログラムは、全てのカダンパセンターにて提供されています。
一般プログラム(GP)は、全ての現代カダンパ仏教センターにて提供されています。仏教や瞑想を現代の生活にどう活かせば良いかをもっと知りたい人たちにとって、理想的な出発点です。
一般プログラムは、毎週のクラスや入門レベルのコースからタントラのエンパワメントや長期のリトリートまで、幅広いイベントで構成されています。すべてのクラスは、ゲシェ・ケルサン・ギャッツォ・リンポチェ師の本に基づいて教えられます。
一般プログラムは全ての人たちを対象としています。仏教を信仰していなくても、誰もがこれらのクラスから恩恵を受けることができます。含まれるテーマには、多くの家庭が抱える問題の根底にある怒りといった問題を、瞑想を使って解決する方法などがあります。このような方法を学ぶことはとても楽しく穏やかで、悩みや苦しみから自身を守るための大切な活動です。
多くのセンターでは、家族や子ども向けの特別クラスも開催されています。
一般プログラムの詳細については、最寄りのセンターにお問い合わせください。
基礎プログラム(FP)は、参加者が仏教の知識と経験を深めることができるように、大乗仏教の特定の科目を体系的に学ぶことを目的としています。
プログラムは、ブッダのスートラとタントラの教えとゲシェ・ケルサン・ギャッツオ師の解説に基づく、以下の5つの科目にて構成されています。
1.『幸運の喜びに満ちた道』の解説に基づく覚りへの道の段階
2.『普遍的な慈悲』 と『幸せへの8つの階段』 の解説に基づく心のトレーニング
3.『新版・智慧の心』の解説に基づく般若心経
4.『見る価値のあるもの』の解説に基づくボディサトバの生き方への手引き
5.『心を理解する方法』の解説に基づく心の種類
これらの本を学ぶことやその教えを実践することには、次のような利点があります。
『幸運の喜びに満ちた道』
ブッダのスートラとタントラの両方の教えを実践する力をつけることができます。覚りという至上の幸せの道への段階を容易に進み、全うすることができます。実用的な観点では、道への段階、つまりラムリムはブッダの教えの主体となるものであり、その他の教えはその手足となるものと言えます。
『普遍的な慈悲』と『幸せへの8つの階段』
ブッダの教えを毎日の生活に取り入れ、私たち人間の問題を解決する力をつけることができます。
『新版・智慧の心』
現実の究極の本質についての境地を得ることができます。この境地を得ることで、すべての苦しみの根源である、自己への固執という無知をなくすことができます。
『見ることが意味深いもの』
私たちの日々の活動をボディサトバの生き方に変えることで、人生の一瞬一瞬を意味深いものにすることができます。
『心を理解する方法』
私たちの心と外の物事の関係を理解することができます。物事が主観的な心に依存するということを理解できれば、私たちは自身の心を変えることで、物事が私たちの心にどのように現れるかを変えていくことができます。私たちは徐々に自分の心を制御することができるようになり、やがて全ての問題を解決することができるようになるでしょう。
基礎プログラムを完了するには約5年を要し、受講のための手続きが必要です。
基礎プログラムの詳細については、以下の最寄りのセンターにお問い合わせください。
ページが見つかりませんでした。別の検索を試してください。
教師養成プログラム(TTP)は、参加者が仏教の知識や経験を深め、現代仏教の教師として資格要件を満たすためのトレーニングができるように、大乗仏教の特定の科目を幅広く学ぶことを目的としています。
プログラムは、ブッダのスートラとタントラの教えとゲシェ・ケルサン・ギャッツオ師の解説に基づく、以下の12の科目にて構成されています。
1.『幸運の喜びに満ちた道』の解説に基づく覚りへの道の段階
2.『普遍的な慈悲』 と『幸せへの8つの階段』 の解説に基づく心のトレーニング
3.『新版・智慧の心』の解説に基づく般若心経
4.『見る価値のあるもの』の解説に基づくボディサトバの生き方への手引き
5.『心を理解する方法』の解説に基づく心の種類
6.『甘露の大海』の解説に基づく中道への手引き
7.『至福の澄みわたる光』の解説に基づくバジュラヤナ・マハムードラ
8.『ボディサトバの誓い』の解説に基づくボディサトバの道徳の規律
9.『功徳の偉大な宝庫』と『マハムードラ・タントラ』の解説に基づくスピリチュアル・ガイドへの捧げもの
10.『新版・ダキニの地への手引き』の解説に基づくバジュラヨギニ・タントラ
11.『タントラの地と道』の解説に基づく密やかなタントラの地と道
12.『バジュラヤナの真髄』の解説に基づくヘルカ・ボディ・マンダラの実践
教師養成プログラムを完了するには約12年を要し、受講のための手続きが必要です。
プログラムの詳細については、以下の最寄りのセンターにお問い合わせください。
ページが見つかりませんでした。別の検索を試してください。
私たちはなぜブッダの教えを学び実践する必要があるのでしょうか?それは、智慧を育み、善良な心を育て、穏やかな心の状態を保つ3つの目的からです。
智慧を育む
智慧を育む努力をしなければ、私たちは物事の本質である究極の真理に対して無知でありつづけることになります。私たちは、いつも幸せでいたいと願っているにも関わらず、無知は、私たちをあらゆる苦しみの主な原因である徳のない行為へと向かわせます。
善良な心を育てる
善良な心を育まなければ、私たちの利己的な動機が、他者との調和や良好な関係を壊してしまいます。私たちに平和はなく、真の幸せを得ることもできないでしょう。私たちの内側に平和がなければ、外側が平和になることはありえないのです。
穏やかな心を保つ
心が穏やかに保たれていなければ、理想的な状況であったとしても、幸せを感じることはできません。逆に、心が穏やかな状態であれば、周りの状況が困難であっても、私たちは幸せでいられるのです。
ゲシェ・ケルサン・ギャツオ・リンポチェ師は、現代仏教を現代社会に適した形で体系的に学び実践するための、3つの特別な学習プログラム「一般プログラム」「基礎プログラム」「教師養成プログラム」を考案しました。
詳細は以下をご覧ください。
基礎プログラムと教師養成プログラムから得られる恩恵
以下は、1990年10月に、ゲシェ・ケルサン・ギャッツォ・リンポチェ師がイギリスのタラセンターにて基礎プログラムを開講した際に行った講話の原稿です。
センターで基礎プログラムを始めることは、私たちに素晴らしい機会を与えてくれます。なぜなら、このプログラムは、私たち自身の願いと他者の願いという両方の願いを叶えてくれるからです。
基礎プログラムは、どのようにして私たちの願いを叶えてくれるのでしょうか?それは、私たちの智慧とダルマの経験を深めることによってです。智慧とダルマの経験があれば、私たちは日常生活で起こる全ての問題を解決することができ、将来の危険から自身を守ることができます。
始まりのない時から、私たちは自己への固執と自己を大事にする心から生じる悪い習慣を根強く持ってきました。私たちは皆、向上したい、幸せでありたい、人生で成功したいと願っていますが、そのような悪い習慣は、私たちを逆の方向へと導いてしまっています。幸せを見つける代わりに、より多くの苦しみの原因を作り出してしまっているのです。私たちは、誰も苦しみたくはないのに、悪い習慣のせいで、すべての苦しみの原因である煩悩を絶えず強固なものにしてしまっています。
智慧とダルマの経験があれば、そのような煩悩を制御することができます。執着、怒り、嫉妬などを減らし、自己への固執と自己を大事にする心を制御できるようになるのです。煩悩を制御することができれば、私たちは昼夜を問わず、永続的な平和を経験できるようになるでしょう。私たちはサムサラの問題全て、そして特に人間の問題を永久に解決することができるでしょう。このようにして、私たちは自身を守ることができるようになるのです。
また、私たちは智慧とダルマの経験により、自らの医者にもなることができます。年齢、貧富の差、有名無名に関わらず、私たちは必ず精神的な苦痛を経験することになります。あるときは不快な状況のために、あるときは他者や友人のために、一日のうちに何度も精神的な苦痛や不快感を経験したりします。またカルマの痕跡が熟すことで、何の明白な理由もなく、不幸や失望、不満や苦痛が自然に生じることもあります。
私たちには、このような苦痛を和らげる薬が必要です。私たち以外に、このような苦痛を和らげる薬を自身に与えることができる人はいないのです。私たちは自身のカルマの医者となり、ダルマの経験を通じて、自らを治療していかなければならないのです。智慧とダルマの経験を深めることで、私たちは徐々に全ての問題を解決し、最終的には完全な覚り、ブッダの境地の至福という究極の幸せを達成することになるでしょう。基礎プログラムは、このようにして私たちの願いを叶えてくれるのです。
基礎プログラムは、どのようにして他者の願いを叶えてくれるのでしょうか?智慧とダルマの経験を深めることで、私たちは他者に精神的な助言や教えを与えることができ、彼らの模範となる良い実例を示すことができます。そうすることで、他者を精神的な道へと導くことができるようになるのです。
一般的に、仏教を信じていてもいなくても、宗教を信仰していても無宗教であっても、誰もが他者を助けたいと願っています。誰もが自然と自身の親や子どもや友人たちを助けたいと思っていますが、私たちにできることはかなり限られています。私たちは通常、物質的な援助を与えることによって、他者のサムサラの状況や楽しみをより良いものにしようとします。しかしこのような支援は、一時的には彼らに恩恵をもらすことができたとしても、永続的な恩恵をもたらすことはできないのです。
また、智慧やダルマの経験、神通力や巧みな手段、忍耐などを持たずに行動すると、その行動が本当に他者の役に立つのかどうか、確信を持つことができません。目先のニーズに対処することは有益かもしれませんが、同時に害をももたらすかもしれず、それを知る術はないのです。
始まりのない時から、母なる生きとし生けるものは、サムサラの状況や楽しみを改善することに心を奪われてきました。人間として何度も何度も、物質的なものを得ることに幸せを求め、衣食住、金銭、名声などを求めて努力してきました。それにもかかわらず、彼らの問題は残ったままです。
富や資源がどれだけあったとしても、サムサラの輪廻の中にある問題をなくすことはできません。たとえ私が、母に何億円ものお金を上げたとしても、彼女の問題や苦しみが消えることはなく、むしろ問題や苦しみを増やしてしまうことになるでしょう。裕福な人には、貧乏な人よりもはるかに多くの心配事があります。いかに富を守り、富を増し、富を使うかといった心配事です。非常に裕福な人たちは、自分の富のために強盗や襲撃にあうのではないかと、常に怯えて暮らしています。
また裕福な人たちの心は、雑念に満ちています。彼らにはプライドが生じやすく、不品行に陥りやすい傾向があります。節制のない生活をすることで執着が深まり、その結果とどまることなく不満が募ってしまっています。このような人たちにとって、ダルマを実践する動機や時間を見つけることは、非常に難しいことなのです。それに対して貧しい人たちは、より現状に満足する傾向にあります。彼らには心配事や雑念が少なく、高慢にならず謙虚である傾向があります。そのため彼らは、心を静め、精神的な願いを抱き、純粋な行為を行いやすいのです。
このことから、智慧と力量を持たずに物質的な援助を与えることは、弊害をもたらすこともあるということが分かるでしょう。他者を助けるどころか、彼らの問題を増やしてしまうかもしれないのです。ゲシェ・チェカワは、『7つの点で心を鍛える』の教えの中で、間違った恩恵を与えることについて警告しています。他者に恩恵をもたらすつもりが、智慧とダルマの経験が不足しているために、意図せずに他者に危害をもたらしてしまうことがあるのです。
ではどうすれば、実際に他者を助け、苦しみを克服し幸せを見つけたいという彼らの願いを叶えることができるのでしょうか?主に、私たちが模範を示し、精神的な助言と教えを与え、徐々に彼らを精神的な道へと導いていくことです。私たちは、他者が無知を克服し、善良な心を育むことを助ける必要があります。善良な心を常に持ち続けることができれば、誰もが日々の問題を克服することができます。そして、少しずつ自らを向上させていくことで、最終的には恒久的な心の平和と、全ての苦しみや危険からの完全な自由を得ることができるのです。
したがって、他者を助けるための最善の方法は、物質的な支援ではなく、ダルマを与える実践を行うことなのです。たとえ私たちの人生に、生きたブッダが現れてお金や物質的なものを与えてくれたとしても、それは私たちにほとんど恩恵はもたらさないでしょう。しかし、彼が私たちにダルマを与え、模範と助言の力によって正しい精神的な道へと導いてくれたとしたら、それは私たちにとって計り知れない助けとなるでしょう。彼は、私たちの全ての日々の問題を根絶させ、最終的に私たちが苦しみから完全に解放されるよう導いてくれるでしょう。基礎プログラムの主な目的は、私たちがこのように他者を助けることができるようになることです。
このことから、自分や他者の願いを叶えるためには、基礎プログラムに頼る必要があることが分かります。現在私たちが持っている智慧は、幼い子どもや新月のようなものです。教えを聞いたり、本を読んだり学んだりしてきたことで、私たちはある程度の智慧は育んでいるかもしれませんが、この智慧をまだまだ深めていく必要があります。基礎プログラムに頼ることで、私たちは徐々に自身の智慧を深め、満月のように完全に満ちたものにすることができるのです。そのような智慧があれば、ダルマを他者に教える時にも、安定した確固たる自信を持つことができるでしょう。
現在の私たちのダルマの理解や経験は、きわめて表面的なものです。私たちは、大きな食料品店に入って多くのものを見たものの、ほんのわずかしか試食していない人のようなものです。私たちは多くの教師から様々な教えを受けてきたかもしれませんが、まだほんの僅かしか消化できてはいません。そのため私たちの実際の経験は、表面的なものにとどまってしまっています。私たちとダルマの間にギャップがあって、ダルマがそこにあり、私たちがここにあるような感じです。心がダルマと混ざり合っていないので、私たちはダルマを日常生活の中で活かすことができないのです。
結果として、私たちの平凡な日々の問題はそのまま残ってしまっています。たとえば私たちは、ラムリムについての多くの教えを受け、多くの本を読んできたかもしれません。それは知的には比較的理解しやすく、受け入れることもできるかもしれませんが、日常生活に取り入れることは難しく、よってダルマを用いて日々の問題を解決することができていません。ダルマを学ぶとき、私たちの心はテレビを見ている人のように受動的になってしまっているのです。心がそのテーマに従事したり、混じり合うことがないため、ダルマと私たちの日常生活は完全に切り離され、無関係なままになってしまっているのです。
なぜでしょうか?それは、私たちがダルマを特別に考案されたプログラムに沿って体系的に学んでいないからです。ダルマを適当につまむだけでは、深く安定した経験を得ることはできず、私たちの智慧が満月のようになることは決してありません。
現在、私たちのセンターでは、基礎プログラムと教師養成プログラムを提供しています。これは新しい伝承ではなく、過去にもダルマを学ぶ人たちのために、それぞれの状況に応じて特別に作られたプログラムが存在しています。
それらのプログラムはすべて、一定の文書を学び、内容を暗記し、試験に合格することで資格や認定書を授与されるものでした。例えば、初期のカダンパのゲシェたちには、6つの文書を学ぶプログラムがありました。その後、ジェ・ツォンカパが10の文書に基づくプログラムを導入し、さらにガンデン、セラ、ドレプンといったチベットの僧院が5つの文書に基づくプログラムを導入しました。
私はこのプログラムを、セラ僧院で学びました。このプログラムを修了し、ゲシェの学位を授与されたとき、私は最高峰の頂上に到達したような気がしました。私の信仰と経験は大いに深まり、人に教えることに対して大きな自信を持つことができました。心はとても幸せで、問題から完全に解放されたように感じました。
私は自らの体験からインスピレーションを得て、西洋のダルマの生徒たちにも同じようなプログラムを紹介し、同じような経験を得てほしいと強く願うようになりました。しかし、チベットのゲシェのために作られたプログラムは、西洋の人々には適していないことがよく分かりました。
ひとつには、西洋のダルマの生徒たちはほとんどが一般の人なので、チベットのゲシェたちが学ぶ5科目のひとつである「ビナヤ」を学ぶことができないのです。またチベットのゲシェたちが学ぶ他の科目はかなり専門的で、とても深くて有益ではありますが、すぐに用いることはできないのです。
西洋の人は性格として、何かを学ぶとすぐにそれを実践してみたいと思ってしまいます。それは、学んだことを実践してみようとする、とても良い資質です。
私はこのことを念頭に置いて、西洋の人々でも学びと実践を全うできるような、特別な教師養成プログラムを考案しました。その中には、ゲシェプログラムの哲学的な科目と、ラムリムやロジョン、マハムードラといった実践的に応用できる科目が含まれています。
基礎プログラムは、これらの科目のうちブッダのスートラの教えに由来する5つの科目に基づいています。基礎プログラムを修了した生徒が教師養成プログラムに進む場合、すでに学習した科目は教師養成プログラムにカウントされ、再度学ぶ必要はありません。そのため、彼らは既に教師養成プログラムのほぼ半分を修了したことになります。
通常、センターにてプログラムを導入する場合は、まず基礎プログラムから始めます。最初の同期生が全コースを終了すると、そのコースは教師養成プログラムとして継続され、新しい基礎プログラムのクラスが開講されます。
教師養成プログラムに参加するかどうかは、もちろん個々の生徒が選択することができます。基礎プログラムだけで満足した場合には、その生徒はコースが終了した時点でやめることができますが、そのクラス自体は教師養成クラスとして継続されます。
マンジュシュリセンターとマディヤマカセンターでは、基礎プログラムと教師養成プログラムの両方が、数年間順調に運営されています。
私はその成果にとても満足しています。試験の解答を読むと、生徒たちが科目をよく理解し、プログラムから大きな恩恵を得ていることがよく分かります。このプログラムはとても有意義で、智慧とダルマの経験を深めるための最善の方法であると実感しています。
ブッダダルマは、資格要件を満たした教師がいる場合にのみ、他者の役に立つことができます。教師がいなければ、ダルマの本だけではほとんど役に立つことはありません。資格要件を満たしたダルマの教師になるには、特別な準備とトレーニングが必要となります。
ダルマの教師になることは容易ではありません。なぜなら、教師になるには、智慧や正しい見解、信仰と信念、そして他の人たちの模範となる純粋な行いといった、特別な資質が必要であるからです。また教師は、教えるために尽きることのないダルマの知識と経験の蓄積が必要で、それがなければ、1年か2年ほどで枯渇してしまうでしょう。
教師に智慧や経験、信仰や純粋な動機などの資質が欠けている場合、他の人たちが彼らや彼らの教えを信じることは難しく、役に立つことはあまりないでしょう。また、適切な準備とトレーニングがなければ、教師が世俗的なサムサラの活動を教えに混ぜてしまう危険性もあります。なので、私たちがもし他者に真の恩恵をもたらすことを望むのであれば、しっかりとしたトレーニングを受ける必要があるのです。
教師養成プログラムを修了すれば、すぐに教え始めることができます。あるいは瞑想の人生を望むとしても、このプログラムはその十分な準備となるでしょう。私たちは少なくとも、深く安定したダルマの経験を持つ素晴らしい仏教学者になれるでしょう。
したがってこれらのプログラムは、ダルマを実践する人にとって真の願いを叶える宝石なのです。これらのプログラムに参加することにより、私たちは智慧とダルマの経験を深め、ダルマを用いて日常の問題を解決できるようになるでしょう。危険や苦しみから自身を守る自らの保護者となり、心の痛みをダルマの薬で治す自らの医者になれるでしょう。
私たちは、他者の模範となり、教えや助言を与えることで、他者を助けることができるようになるでしょう。ゆくゆくは特別なプログラムを開催するなどして幅広い教えを与え、様々な形で他者の役に立てるようになるでしょう。このようにして私たちは、自身と他者の人生をとても有意義なものにすることができるのです。
基礎プログラムのクラスでは、教師が文書を読み、補足説明をします。これには、難しい点を明確にすることと口伝を伝えることの、2つの目的があります。つまり、教師が本を読み上げているとき、彼らは私たちに本を読んでくれているだけなのでなく、将来の教師たちに文書の系譜を伝えているのです。
文書そのものは非常に明瞭で、特にラムリムとロジョンの文書はとても分かりやすいです。しかし、プログラムの中で文書を学ぶときには、特別な理解の仕方が必要です。それには、教えを聞くこと、熟考すること、議論すること、暗記すること、瞑想することです。
特に、議論をすることは、プログラムの中では特に重要な側面です。自らの経験やダルマの理解を共有し合うことで、私たちはお互いに大いに助け合うことができるからです。二人一組で議論することもあれば、クラス全員で議論することもあります。
議論をするときは、常にオープンマインドで、相手を助けたいという気持ちを持っていなければなりません。もしあなたに特別な経験や理解があるのであれば、ぜひそれを共有するようにしましょう。常に、大切なものを友だちにあげるような気持ちで議論を行いましょう。
相手に質問するときは、相手から学びたい、あるいは論点を明確にしたいという意図を持って行うべきです。相手がどれだけ知っているか、あるいはどれだけ知らないかを調べるための議論ではありません。また相手が答えている時には、友だちから大切なものを受け取るような気持ちで注意深く耳を傾けましょう。
あまり深刻な議論にならないように気をつけて、明白な意見の相違を避けるようにしましょう。相手が間違ったことを言った場合は、相手の気を悪くしないように気をつけながら、静かにそれを指摘しましょう。反論されるのが嫌な人もいるので、そのことを念頭に置いて、優しく思いやりを持って話をしましょう。
時には、誰かが間違ったことを言った場合でも、気にとめずに同意しているように振舞うこともできます。そうすることで、穏やかで友好的な議論ができるでしょう。実際のところ、本質的に悪い人はいません。時々、怒ったり、失望したりしているように見えるだけです。もし相手があなたの主張を理解したり、受け入れたりするのが難しいような場合は、忍耐強く、徐々に理解できるように手助けしましょう。
私たちの議論は、爆竹のように何の意味もなく騒ぎ立てるものではなく、意味深く、結論に達することのできるものでなければなりません。科目の意味について、明確な決意に達することで、個々の議論を終えるよう努めましょう。
後日試験を受ける際には、議論することによって達した結論がとても役に立つでしょう。議論することは、自分の考えをまとめ、明確な決意に達することに役立ちます。そうすることで、私たちは確信と自信を持つことができます。定期的に議論を行わなければ、そのテーマについて疑問や不快感を抱いたままになってしまいます。
また私たちは、科目の重要な点を暗記し、理解したことを日常生活に実践的に取り入れるよう努めなければなりません。プログラムのさまざまな誓約を守ることも大切です。これらの誓約は、私たちが目的を達成するのを助けるために作られたものであり、これらの誓約を守らなければ、怠惰心や他の事情に気を取られて学びを全うできなくなってしまう危険があります。
今日基礎プログラムに参加してくれている皆さんは、とても優しく、私はとてもありがたく思っています。このようなプログラムによって、ダルマセンターは有意義なものになるのです。
ダルマセンターの実際の役割は、その地域の人たちに教えを与え、私たちのダルマの経験を共有することで、彼らが日々の問題を解決することを助けることです。今日プログラムに参加してくれている人たちが、プログラムに沿って辛抱強く学び、全ての誓約を守り、全ての試験に合格したとすれば、それは他者への大きな恩返しとなります。
このプログラムを完了するとき、皆さんはセンターと、その地域のすべての人たちを本当の意味で助けることができるようになります。自分の願いを叶えると同時に、他者のための利益となることができるのです。これは小さな仕事ではなく、大きな業績です。
このプログラムに参加したからには、決して諦めてはいけません。時には、困難や問題にぶつかり、退屈したり落胆したりすることもあるでしょう。でもそれらは全て、小さな問題です。放っておけば自然に消えていき、また幸せな気持ちになれるでしょう。
サムサラにいる限り私たちは問題を経験し続けますが、そのことは、これほど貴重で有意義なものを断念する理由にはなりません。このように大きな課題を引き受けたからには、決してそれを諦めてはなりません。
5年や7年は長いと感じるかもしれませんが、毎日あきらめずに着実に実践してゆけば、私たちは徐々に目標へと近づいていきます。今日始めれば、明日には既に、今日よりも少し完了に近づいているはずです。そしてある時、トレーニングを全うする日を迎えるでしょう。
そうなったとしたら、どんなに素晴らしいでしょう。私たちは、学んだあらゆる科目について、自信を持って純粋な教えを伝えることができるようになるでしょう。私たちはしっかりと準備してきたので、人々は私たちを信じ、信頼してくれるでしょう。私たちの教えや経験、彼らが抱える問題の解決に役立つことのできる力など、さまざまな点から私たちを評価してくれるでしょう。
これは、私たちがこの人生でのみ受けることのできる恩恵です。実際には、将来の生まれ変わりの方が遥かに重要です。私たちは、覚りに達するまで、このプログラムで学んだ有益な結果を、連綿と続く生まれ変わりにおいて経験することにでしょう。その恩恵が尽きることはないでしょう。
私は既に、ほぼ全てのプログラムの科目を準備し終えています。これらの文書の中で分かりにくい部分があれば、それを明確にするのは私の責任です。議論においてそのような点があれば、書き留めて私に送っていただければお答えします。たとえばラムリムの教えは、もともとアティーシャからジェ・ツォンカパ、そして私の根源のグルであるトリジャン・リンポチェへと伝わったものですが、皆さんが学んでいる文書は、私が作成したものです。
同様に、『中道への手引き』もチャンドラ・キールティが書いたものですが、皆さんが学んでいる解説は、私が書いたものです。したがって、分かりにくい点を明確にし、皆さんが勉強で困っているときに助けることは私の責任です。
また、皆さんのために試験を準備することも私の役割です。皆さんの役割は、誓約を守り、プログラムを完了することです。皆さんにありがとうと言いたいと思います。楽しく勉強を終えるように頑張ってください。
3つの学習プログラムについてより詳しく知りたい方は、下記の最寄りのセンターまでお問い合わせください。